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人生の快楽とは家庭の快楽では、われわれが当たり前とする団欒とはいつ頃から重視され、また、その実態はどのようなものであったのであろうか。ここに、100年ほど前に出版された興味深い本がある。このなかで、当時の流行語として紹介されている団欒という言葉が再三使われている。これから、団欒の謎解きができそうだ。
一九0二(明治三五)年、『家庭の快楽』という魅惑的なタイトルの図書が出版されていた。これは家庭全書というシリーズのなかの一冊で、『育児の栞』『茶の湯栞』『和洋料理』などに続く第一一冊目に位置していた。このシリーズがどのくらい読まれていたのかはわからないが、家庭について様々な観点から記されたシリーズであったこと、体裁がうすくて読みやすいこと、さらには、図版がたくさん用いられていることなどを考えれば、それなりの教育のある主婦を中心とした読者を捕まえていたことは十分推測できる。

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>インテリアを考えておく総論によれば「およそ世の中の快楽という快楽はその数多しといえども、人生の快楽ということは家庭の快楽に過ぐるものはなきなり」とし、家庭の団欒がすべての快楽のうちでもっともすばらしいものであるとして、タイトル家庭の快楽の所以を述べているゆえんそして、同時に「家庭の中心は主婦にあり」とするメインテーマも披露し、家庭を構成する登場人物についても具体的に父·母·夫·子どもおよび夫の兄弟姉妹、そしてこれに使用人、子守を加えている。ここに麸が挙げられていないのは、本書が凄たる主婦を対象に描かれているからであることはいうまでもない。
ところで、この本で注目したいのは家庭の快楽の風景が具体的に描かれていることである。その家庭の快楽、すなわち、家族団欒の姿とは、父母、夫婦はもちろん、兄弟姉妹から子女、さらには使用人や子守までの家にいる全員が一部屋に集まって歓笑嬉戯することであるとし、その団欒風景が描かれている(図20)。


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家の地下室で試みた方法そこには、家族が皆正座して車座になって座っている風景が描かれている。
きぎ
ほほえそして、よく見ると、父や夫や弟はなかなか難しい顔をしているが、女性たちは口元や目が微笑んでいる。そして、こうした家庭の快楽を表す団欒という言葉は普及し始めたばかりのもので、当時の一般的表現でいえばまといと呼ばれていたことが紹介されている。ちなみに、このまといは円居と書いた。まさに数珠繋ぎのようなこの絵は、円居を表わしているに他ならない。今日、家庭生活では、こうした風景はあまり見なくなったが、花見の季節などにほろ酔い加減でワイワイやっている人たちの並び方などにしばしば見られる風景を思い出してもらえばいい。
じゅず
毎週土曜日の三時は家族みんなで集まるでは、そのような団欒とは、具体的にはどのようなときの行為なのであろうか?
同書によれば、この登場する家庭では毎土曜日の午後であるという。
朝食および夕食のときであり、最も重要なのは、の様子を、少し長くなるが引用したい。
そその日の午後三時ごろともなりぬれば、主人即ち良人の居間とする部屋に、団欒会を催せり、言を換へていはば一場の茶話会なり、室には炉に火を移して既に湯も沸たり、茶器の排列もそれぞれに整へたり、やがて主人はその凄をして舅姑に案内し導き来らしめ、一面には妹をして弟よりその外の家族を呼び来らしめぬ。間取りと仕様が決まってからろん工事は下請けの工務店舅姑ははやくその席に入来り、しなる設けの坐に就きければ、その傍には主人坐し、その次には弟それより妹と、おのが子女に至るまで、いづれも坐に入れば先づ愛らしくもあり、殊に家庭の教育の行届くを見るべきは、いづれも先づ父兄に挨拶することなり、席のそれぞれに定まるや先づ主人より口をきりて新聞などにありし珍らしき話、第一には父母の意を慰むるもの語をなし、それよりは又た妹や弟に利益となるべき談話、さては子供の喜ぶべき笑ひばなし、その中には忠孝敬愛などのはなしをはじめ、問ふものあれば懇ろに答へ聞かしめ、弟に学業のさまをたづね、或は喜ばしめ、あるひは笑はしめ、殊に子女のために或る問題を出してこれを解せしめ、解し得たるときは褒美をつかはすなど、要するに一家の親和てふことを主眼として、父母の心を怡しむるにあり、やがて妻に命じて茶を点ぜしむ……(『家庭の快楽』宝文館一九0二年)これによれば、団欒とは、毎週ある一定の定めた時間に家族全員が主人の部屋に集まり、話をしながらお茶を飲む行為を意味していることになる。


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場の中心は、あくまでも主人である。話の内容は、会話というよりは主人からの情報の提供であり、家族の様子の確認が中心となる。主人は、新聞から得た!
週間の社会の出来事を家族に伝え、また、家族銘々の生活の様子を尋ね、それに対しての意見を述べることになる。ただ、厳しさを避けるためにときには、場を盛り上げるために冗談も言い、また、幼子には褒美を出すなど、威厳を守りつつ家族の纏まりを維持するための細心の注意が払われている。そして、ある程度の堅い話が終われば、お茶の時間となり、姿勢も崩して談笑の時間へと移行することになる。

威厳あり、知識あり、冗談ありの父親この団欒風景を見て、時代錯誤だと思われる方もいるかもしれないが、それでもいろいろ考えさせられることがある。まず、当時の団欒というものがいつでもどこでも、いわば、空気のように存在するものではなく、また、今日のリビングルームのように団欒の場が常時住まいの中に確保されているわけではなかったことがわかる。時間を定めて、つまり、家族銘々の集まる努力によって、時間を確保しながら行なっている行為であり、きわめて人為的なものであるということである。

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マンション大規模修繕工事それは、まさしく、家族そのものを確認する行為であり、それ故、家族はその行為を何事にも優先することを強いられるとも言えるかもしれない。そして、それを切り盛りするのは父親の役割であった。
そこにはやはり圧倒的に力強い父親の存在があるしかも、単に威厳を放つだけではなく、知識もあり、弁舌が立ち、また、冗談も語れるなど統率力のある父親が描かれているのである。読み進んでいくと、わが身を顧みて少々自信を失いかけてしまうがここに今日の生活の中には存在しなくなった父親を中心とした家庭の団欒が見て取れる。そして、少なくとも、一九00(明治三三)年前後には家族の努力の結晶としての家族団欒という行為が重視されその行為こそ家族を維持するために最も重要なものと考えられていたことがわかる。

良妻賢母が美化されるでは、なぜ、こうした新しい言葉が流行し始めたのであろうか。これを知る手がかりとなる書物がある。『戦略としての家族』牟田和恵.新曜社、一九九六年である。


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