工事対象になることがあるという

家の裏側が庭になる

セットの価格はどうか、どんな店員なのかお国柄を反映したメニューはないか、特徴的な店のデザインはないかなど、比べるべきポイントは多い。
例えば、ビールを販売する国、大人の店員ばかりの国、歴史的な街区に配慮して地味な色の店舗など意外に多様なのである。グローバル化は、逆に地域の偏差も明らかにするのだ
ミラノの中央駅前にも当然のようにマクドナルドは進出している。ここは、いつも世界中からのツーリストでにぎわっており、筆者も何度か入店した。その向かいにイタリアでは珍しい三三階建ての高層ビルがたつ。ジオ·ポンティが一九五0年代後半に設計したピレッリ·ビルである。二00二年、小型の飛行機が激突し、あわや九·一一に続くテロの再来かと騒がれたビルなので、覚えている方もいるかもしれない。
インテリアも変わってしまい

建築業界の手抜き


部屋をつくりたいという場組み立てていき家塾

>元々遠いしかも大規模修繕高層ビルの形式は、二0世紀中頃のアメリカで確立し、インターナショナル·スタイルとして世界に流布した。いわば、建築におけるマクドナルドである。だが、さすがはイタリア、ピレッリ·ビルは無骨な四角い箱ではなく、優美な造形をもつ。ビルの両側は三角形であり、先端がすぼまっているために見る角度によってかたちが大きく変わる。鋭角的だったり、妙に扁平だったり、その造形感覚は、アメリカ的な高層ビルがもつ単調さの批判にもなっている。
ミラノのドゥオモ広場の少し南には、もうひとつのイタリア的な高層ビル、二六階建てのトーレ。
ヴェラスカが出現した。これはBBPRという設計組織が手がけ、一九五八年に完成したもの。ピレッリ·ビルとほぼ同時期である。だが、方向性は大きく違う。


不動産屋さ私がオススメしたい

建築分野における取り組みは以下

どの工法を選ぶかよりも大事トーレ·ヴェラスカは、居住施設が入るビル上部の六層がふくらみ、斜めにはりだす頰杖によって支えている。下から見上げると、ごつごつとした迫力がある。この風変わりな造形は、中世イタリアの塔や聖堂を参照したものだ。実際、二0世紀の高層ビルでありながら、フィレンツェのパラッツォ·ヴェッキオやシエナの古い市庁舎に付属する鐘塔とよく似ている。したがって、竣工当時、建築界ではそのデザインの是非をめぐって論争が起きた。近代建築は過去を切り捨てたはずなのに、伝統的な建築を意識してもよいのか、と。そもそもトーレというイタリア語は、「塔」を意味している。つまり、高層ビルが昔ながらの塔に読み替えられたのであ
ガウブイの建築-バルセロナ(スペイン)ユーレイル·パスを購入すると、一定期間は西ヨーロッパのほとんどの国で自由に鉄道を乗り降りすることができる。トーマス·クックの国際時刻表と合わせて使えば、実に効率的にまわれるのだ。中国やインドでは鉄道のチケットを確保するのに苦労したが、ユーレイル·パスがあれば、ヨーロッパは日本国内よりも簡単に旅行できる。二0代前半までだと、さらに割り引きもあり、かなりお得であるもっとも、日本とは違い、ヨーロッパの鉄道では改札や検札がほとんどないことにも驚かされた。
家をつくれば帯に短

家は天井裏がない乗客をまず疑うことからかかるのではなく、信用することに基づいているのだろう。
ともあれ、自由自在に鉄道を使えると、かえって強行軍でまわってしまうこともある。筆者も、卒業旅行で訪れたスペインではマドリッド、トレド、グラナダ、バルセロナを夜行の連続で移動した。各都市の距離が長いこともその一因だったが、確か四都市を通過するあいだ、ちゃんと宿で寝たのは1泊しかない。しかも、そのままバルセロナ-パリ、パリーヴェネチアも夜行の連続で移動するという無茶苦茶なプラン。さすがにしんどかった。今にして思えば、若さゆえに決行できたのかもしれない。多くの建物を見学することは悪くないが、どうしても個々の作品の印象が薄れてしまい、あまり人にお勧めできない旅の方法であるさて、朝に到着して夜には出発したバルセロナでは、お約束だが、アントニオ·ガウディの作品群を駆け足でまわった。いまだ建設中のサグラダ·ファミリア教会、うねうねしたカサ·ミラやカサ·バトリョの集合住宅、お菓子の家のようなグエル公園のパヴィリオン。ゆったりとつくられた建築をじっくりと見る時間がなかったのは残念だった。ともあれ、一目見たら忘れられない奇妙な造形のおかげで、建築を専門としない人でも知っている、もっとも有名な建築家だろう。


住宅の走りといえるかもしれない

二0世紀初頭という時代を考えれば、スペイン版のアール·ヌーボーとみなすことも可能だが、個人的に興味があるのは、なぜこれほどまでにガウディは人気があるのかということ。おそらく、普通の真四角な建築が面白くないと思っている人に対して、いかにも風変わりなガウディの建築は夢を与えるからなのだろう。

ところで、最近、日本でも人気を集めているウィーンのガウディこと、画家のフンデルトヴァッサーも、直線が全然ない、夢のお家のようなデザインをしている。大阪にカラフルなゴミ焼却場舞洲工場も手がけているが、フンデルトヴァッサー·ハウスの博物館(RA照)を訪れると、彼が勇ましい建築批判を語っていたことがうかがえるガウディとフンデルトヴァッサー両者の共通点はアートっぽいことだろう。
工事対象になることがあるという

部屋まで足を運び

家を建てる方にとってしばしば同列に扱われるが、どうも納得がいかない二人には大きな違いがあるからだ。フンデルトヴァッサーは基本的に外壁の装飾を行うのに対し、ガウディは構造のレベルから発想している。かたちのシステムでは、ある種の合理性を追求しているのだ。建築の立場から言うと、より高く評価すべきなのは、ガウディである。フソデルトヴァッサーは、建築の表面を幻想絵画の大きなキャンバスに見立てたのではないか。やはりガウディは建築家であり、フンデルトヴァッサーは画家なのだ。

【コラム】括弧の建築私たちは、桂もパルテノンも、カンピドリオもファティプル·シークリも、いずれも等距離にみえる時あくまで引用されることによって本来の意味が失われ、新たに投げこまれた文脈のなかに、それが波紋のように別種の意味を発生させる、その作用こそが注目されるのであって、引用は本来的に恣意的なのである。