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色んな経験に向き合え

修繕委員会でまず説明してから意見交換を行い

マンション選びが可能
滞在中、彼の事務所を訪問した。作品ごとに、コンセプト·ブックも制作し、クライアントに見せるという。なるほど、編集的なセンスに長けているはずだ。もともと彼はライターだった経験もある。そして最近は設計だけでなく、企業のコンサルティング的な仕事も手がけている。エネルギッシュで圧倒された。
ロッテルダムでは、日本の現代建築展のオープニングの後、出品していた日本の若手建築家らと遅くまで飲んでいた。スイスで働いていた友人の堀井義博くんも駆けつけ、外国だというのに、なじみの顔ぶれで、いつも日本で飲んでいる雰囲気になる。深夜に解散した後、女性建築家の貝島桃代さんはアムステルダム行きの電車で帰っていった。便利なことに、真夜中でも鉄道が動いているのだ。そして翌朝に彼女は、またロッテルダムに来ていた。やはり建築家はタフでなければ生きていけない。

二つの発電所-ロンドンイギリスおそらく大学生が卒業旅行でヨーロッパに行くのが、珍しくなくなったのは、一九八0年代後半くらいではないだろうか。筆者はちょうどその世代にあたり、八九年三月に友人とヨーロッパを一か月近くまわった。初めての海外ではなかったけれど、建築を学んでからは最初の旅だったので、やはりモノの見方は大きく変わる。そのとき旅先の観光地で、やはり卒業旅行をしている高校の知人にばったり会うなんてこともあった。あるいは、豪雨に見舞われたヴェネチアのサンマルコの鐘塔の上で、数年ぶりに知った顔を見かけたりする。
一方、ちょっと先輩の話を聞くと、みんなが海外に行っていた世代ではない。さて、ヨーロッパの卒業旅行のセオリーは、イギリスから入ること。英語が通じるからだ。そして外国に慣れてから、だんだん南下する。卒業旅行のときは、これに従った。だから、ロンドンは建築的な視点から体験した最初の外国である。何もかも目新しかった。
四度目のロンドン。二つの発電所が印象に残った。ひとつは最近、美術館に転用された旧バンクサイド発電所、もうひとつはバターシー発電所である。いずれもギルバート·スコットが設計した二0世紀中頃の建築で、テムズ川沿いにたつ。

バンクサイド発電所は、人気の建築家集団ヘルツォーク&ド·ムーロンがリニューアルを手がけ、テイト·モダンとして生まれ変わった。
色んな経験を考慮してエコカラットの評判はいいと思う。

マンション選びが可能
セント·ポール寺院からは、ミレニアム·ブリッジを渡っていける。しかし、一見すると、どこを改築したのかがよくわからない。巨大な煉瓦のかたまりはそのまま残し、垂直にのびる中央の煙突と直交する細長いガラスの直方体をのせたくらいだ。もっとも、内部は発電所のもつ大きなスケールを生かしながら、ミニマル·アート風の現代的な空間に仕上げている。かくして一10世紀の産業遺跡は、最前線の美術を展示する二一世紀の新しい観光名所となった。
実はバターシー発電所を建築を学ぶ前から知っていた。イギリスのロックバンド、ピンク·フロイドのアルバムアニマルズでのジャケットに使われていたからだ。空を飛ぶ豚と奇怪な発電所を組み合わせたシュールな風景。当初、この建築が実在するとは思っていなかった。煙突に古典主義の柱を引用しており、空想的なデザインだからである。そもそも機能主義の建築は、装飾を嫌うはずではないか。

だが、後に建築史を研究するようになり、これがスコットの作品だと知る。かといって、場所を調べてわざわざ見にいくつもりはなかったのだが、ある日、ロンドンからブライトンに向かう電車の窓から不意に発見した。本当に存在する、と。ちなみに、ジャケットは合成でなく、大きな豚の風船を浮かせて撮影した実写である。この都市はロックのエピソードに事欠かない。ある建築を探すために、ロンドンの外れをうろうろしていたとき、日本人の観光客が不自然に多い一角にぶつかった。どこかで見たような風景。なんと、そこはビートルズのジャケットで有名になったアビーロードだった。

ペンギン·プールロンドンイギリスヨーロッパの都市では、著名人が道路の名前になっていることが多い。ロンドンの地図を見ていたら建築家にちなむ通りがあった。例えば、イニゴ·ジョーンズや、セント·ポール寺院を手がけたクリストファー·レンなどである。いずれも一七世紀に活躍したイギリスの建築家だ。日本だと、江戸時代の建築家の固有名で知られているものは少ないし、二0世紀だとしても、丹下健三通りや黒川紀章通りが存在することはちょっと想像できない。

住宅って何プレハブ

イギリスでは、建築家の地位が認められ、人々から尊敬されているのだろう。サーの称号を与えられた建築家も少なくない。
建築ガイドを片手にロンドンを歩くと、気づくことがある。それぞれの時代にトップアーキテクトが集中的に仕事を行い、街の景観を形成していることだ。例えば、一九世紀のジョン·ナッシュやジョン·ソーンなどである。一10世紀末から二一世紀初頭ならば、ノーマン·フォスターだろう。彼はロンドン市庁舎、大英博物館の中庭リニュアル、ミレニアム·ブリッジなどを設計し、新しい都市の顔を生み出している。
ずっとロンドンで見たかった風変わりな建築がある。ロンドン動物園のペンギン·プールだ(照)。カーブを描く二つのスロープが絡みあう、シンプルなデザイン。建築集団のテクトンが設計した!
九三五年の作品で、ペンギンがスロープを歩く写真は、近代建築史の教科書でも紹介されている。学生のとき、無理矢理歩かされる(?)ペンギンは嫌なのではないかと、よく冗談を言っていた。しかし、その美しい造形は忘れがたい。ようやく現地を訪れたとき、修復の後のようで、ペンギン·プールは真白に輝いていた。一見ユーモラスな空間だが、なるほど、すぐれた近代建築である。柱の支えなしに、一四メートルのスロープが自立している大胆な構造。そしてゆるやかな傾斜は、ペンギンの行動分析から導いたものだ。全体は楕円のプールになっており、二つの半円のスロープとの組み合わせも絶妙である。瑞々しい魅力にあふれ、とても六0年以上昔の作品とは思えない。勝手な思い込みなのだが、実際に見ると、ペンギンは気持ちよさそうに歩いていた。

ロンドン動物園は、他にも興味深い建築を実現している。テクトンは円筒形の空間をもつゴリラ·ハウス(A)も設計した。
家が近接する工事の現

部屋がスッキリさせることができ

滞在中、彼の事務所を訪問した。作品ごとに、コンセプト·ブックも制作し、クライアントに見せるという。なるほど、編集的なセンスに長けているはずだ。もともと彼はライターだった経験もある。そして最近は設計だけでなく、企業のコンサルティング的な仕事も手がけている。エネルギッシュで圧倒された。
ロッテルダムでは、日本の現代建築展のオープニングの後、出品していた日本の若手建築家らと遅くまで飲んでいた。スイスで働いていた友人の堀井義博くんも駆けつけ、外国だというのに、なじみの顔ぶれで、いつも日本で飲んでいる雰囲気になる。深夜に解散した後、女性建築家の貝島桃代さんはアムステルダム行きの電車で帰っていった。便利なことに、真夜中でも鉄道が動いているのだ。そして翌朝に彼女は、またロッテルダムに来ていた。やはり建築家はタフでなければ生きていけない。

二つの発電所-ロンドンイギリスおそらく大学生が卒業旅行でヨーロッパに行くのが、珍しくなくなったのは、一九八0年代後半くらいではないだろうか。筆者はちょうどその世代にあたり、八九年三月に友人とヨーロッパを一か月近くまわった。初めての海外ではなかったけれど、建築を学んでからは最初の旅だったので、やはりモノの見方は大きく変わる。そのとき旅先の観光地で、やはり卒業旅行をしている高校の知人にばったり会うなんてこともあった。あるいは、豪雨に見舞われたヴェネチアのサンマルコの鐘塔の上で、数年ぶりに知った顔を見かけたりする。
一方、ちょっと先輩の話を聞くと、みんなが海外に行っていた世代ではない。さて、ヨーロッパの卒業旅行のセオリーは、イギリスから入ること。英語が通じるからだ。そして外国に慣れてから、だんだん南下する。卒業旅行のときは、これに従った。だから、ロンドンは建築的な視点から体験した最初の外国である。何もかも目新しかった。
四度目のロンドン。二つの発電所が印象に残った。ひとつは最近、美術館に転用された旧バンクサイド発電所、もうひとつはバターシー発電所である。いずれもギルバート·スコットが設計した二0世紀中頃の建築で、テムズ川沿いにたつ。

バンクサイド発電所は、人気の建築家集団ヘルツォーク&ド·ムーロンがリニューアルを手がけ、テイト·モダンとして生まれ変わった。

修繕委員会でまず説明してから意見交換を行い

セント·ポール寺院からは、ミレニアム·ブリッジを渡っていける。しかし、一見すると、どこを改築したのかがよくわからない。巨大な煉瓦のかたまりはそのまま残し、垂直にのびる中央の煙突と直交する細長いガラスの直方体をのせたくらいだ。もっとも、内部は発電所のもつ大きなスケールを生かしながら、ミニマル·アート風の現代的な空間に仕上げている。かくして一10世紀の産業遺跡は、最前線の美術を展示する二一世紀の新しい観光名所となった。
実はバターシー発電所を建築を学ぶ前から知っていた。イギリスのロックバンド、ピンク·フロイドのアルバムアニマルズでのジャケットに使われていたからだ。空を飛ぶ豚と奇怪な発電所を組み合わせたシュールな風景。当初、この建築が実在するとは思っていなかった。煙突に古典主義の柱を引用しており、空想的なデザインだからである。そもそも機能主義の建築は、装飾を嫌うはずではないか。

だが、後に建築史を研究するようになり、これがスコットの作品だと知る。かといって、場所を調べてわざわざ見にいくつもりはなかったのだが、ある日、ロンドンからブライトンに向かう電車の窓から不意に発見した。本当に存在する、と。ちなみに、ジャケットは合成でなく、大きな豚の風船を浮かせて撮影した実写である。この都市はロックのエピソードに事欠かない。ある建築を探すために、ロンドンの外れをうろうろしていたとき、日本人の観光客が不自然に多い一角にぶつかった。どこかで見たような風景。なんと、そこはビートルズのジャケットで有名になったアビーロードだった。

ペンギン·プールロンドンイギリスヨーロッパの都市では、著名人が道路の名前になっていることが多い。ロンドンの地図を見ていたら建築家にちなむ通りがあった。例えば、イニゴ·ジョーンズや、セント·ポール寺院を手がけたクリストファー·レンなどである。いずれも一七世紀に活躍したイギリスの建築家だ。日本だと、江戸時代の建築家の固有名で知られているものは少ないし、二0世紀だとしても、丹下健三通りや黒川紀章通りが存在することはちょっと想像できない。
不動産業者がプロジェ

住宅って何プレハブ

イギリスでは、建築家の地位が認められ、人々から尊敬されているのだろう。サーの称号を与えられた建築家も少なくない。
建築ガイドを片手にロンドンを歩くと、気づくことがある。それぞれの時代にトップアーキテクトが集中的に仕事を行い、街の景観を形成していることだ。例えば、一九世紀のジョン·ナッシュやジョン·ソーンなどである。一10世紀末から二一世紀初頭ならば、ノーマン·フォスターだろう。彼はロンドン市庁舎、大英博物館の中庭リニュアル、ミレニアム·ブリッジなどを設計し、新しい都市の顔を生み出している。
ずっとロンドンで見たかった風変わりな建築がある。ロンドン動物園のペンギン·プールだ(照)。カーブを描く二つのスロープが絡みあう、シンプルなデザイン。建築集団のテクトンが設計した!
九三五年の作品で、ペンギンがスロープを歩く写真は、近代建築史の教科書でも紹介されている。学生のとき、無理矢理歩かされる(?)ペンギンは嫌なのではないかと、よく冗談を言っていた。しかし、その美しい造形は忘れがたい。ようやく現地を訪れたとき、修復の後のようで、ペンギン·プールは真白に輝いていた。一見ユーモラスな空間だが、なるほど、すぐれた近代建築である。柱の支えなしに、一四メートルのスロープが自立している大胆な構造。そしてゆるやかな傾斜は、ペンギンの行動分析から導いたものだ。全体は楕円のプールになっており、二つの半円のスロープとの組み合わせも絶妙である。瑞々しい魅力にあふれ、とても六0年以上昔の作品とは思えない。勝手な思い込みなのだが、実際に見ると、ペンギンは気持ちよさそうに歩いていた。

ロンドン動物園は、他にも興味深い建築を実現している。テクトンは円筒形の空間をもつゴリラ·ハウス(A)も設計した。

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      家を暖めるのかの違いもでてき
      家具などに挟んで使用することができる