Press "Enter" to skip to content

家のおもちゃでよく遊び

一部の金持ちだけが戸建ての家に住む

さて、こうした生活行為の整理の過程で、部屋に関する捉え方も変化することになる。近代以降、部屋は一つの機能に対応すべく、独立した用途の部屋を持つべきと考えられてきたが、狭い面積の中では一つの機能に独立した一つの部屋を用意することは困難で、必然的に一つの部屋を様々な機能の場として兼用することが求められた。
加えて、のである。
実生活に直接かかわりの少ない因習にとらわれた格式や儀礼の部屋は捨てざるを得なかったそうしたなかで、玄関や客間が捨てられることになる。

玄関のない住まいの出現そのため、この時期の小住宅の間取りを見ていると、まさに出入り口としての簡略化された玄関や中には玄関のない住まいまでが出現したのである。たとえば、若き建築家·増沢洵の自邸一九五二年などを見ていると、玄関らしき場所がなく、どこから入ればいいのかわからない図18。訪ねた人はさぞかし困ったのでは、と思う。

戦後にスター建築家としてその名を馳せた清家清も、一九五四昭和二九年に自邸を構えた。清家も自邸の設計に当たって玄関を排除し、さらには、自らの求めた住まい方を実践すべく伝統的な履き替えの住まい方そのものも捨て去った図19。室内の床に鉄平石を敷き、靴のまま出入りする住宅を考えたからである。それは、清家の言葉を借りれば「庭から室内、室内から庭のcirculationで靴をいちいち脱いだり履いたりしていては、庭と室内を一体に運営できない」ためだという。しかし、実際の生活を始めると、室内がよごれ、奥様からクレームが相次ぎ、履き替える場に戻したという。

清家が靴のままの生活を取り入れたのは、ハダシで室内と庭を行き来できることを望んだからであったが、やはり、客に室内と庭を行き来できる生活は理解してもらえなかったようだ。それは、他人が訪れたりすると、出入口としての玄関が必要であったことや、清家が住まいは家族のものだけではなく他人が介在する場でもあることを認識していたからこそ、そうした試みを放棄したことがうかがえる出来事でもある。
大手メーカーなら大丈夫

玄関は気持ちの表現の場だこの清家邸に象徴されるように、靴を脱いで生活するという生活様式は今日においても変わることはない。しかし、この履物の着脱の行為を行なう玄関は、それでも大きく変わり始めたように思う。戦後の住まいづくりでは、住まいから格式性とか身分制といった考え方は急速に消え去ったが、その過程でそれまでの美風といえる迎えようとする謙虚な気持ちまでが捨て去られたように思える。まさに、履物の置き場としての無機的な出入口という玄関が当たり前となり始めたからである。
玄関には送り迎えがよく似合う。儀礼的なものではない、素朴に送りたい.迎えたいという気持ちの表現の場であるのだ。くわえて、履物を脱ぐ行為は、まさしく、外界(社会)の穢れを落として、内(家庭)なる世界に入ることを意味しているように思う。
われわれは無意識で行なう履物の着脱という行為に、精神的な気持ちの切り替えを重ねているといえるのだそういう意味で、玄関こそ、欧米の住まいにはないわが国独自の精神性の存在を示す場であり外から内へ、あるいは内から外へ、という精神の切り替えの場としていまだにその恩恵を受けているように思う。
玄関は、単なる出入り口といった即物的な機能以上の意味合いを持つ場であったのだ。改めてわが国特有の履物の着脱という行為に、家の内外の区別あるいは公私の区別という精神的な意味合いを重ねて見ることは、これからも継承したい特徴である。

誰もいなくなった部屋

家族の生活は二の次間取りを考えたり、あるいは、間取りを眺めたりする場合、誰でもが最初に思うのが、住まいは族のものであり、家族にとって重要なのが家族団欒という行為、したがって、家族団欒の場となる居間リビングルームは一番大切、といった三段論法的思考であり、こうしたイメージが当たり前のように受け取られている。

家族皆が揃うことが求め


大手メーカーなら大丈

確かに、私も大学の設計時間や計画論の講義で、住まいで一番大事な行為は団欒であり、居間が大切と説く。
こうした当たり前と思われている考え方は、意外かもしれないが、いまだ100年も経っていないきわめて新しいものなのだ。では、それ以前の住まいでは、何が大切と考えられていたのかといえば、それは客間。伝統的な住まいでは、家族の生活の場は二の次で、一番大切な行為は接客であり、それゆえ、接客の場としての応接室や客間(座敷)と称される部屋がもっとも重視され、また、もっとも贅を尽くしてつくられていた。居間本位は客間本位という古い体質を打ち破ってようやく獲得した新しい住まいのあり方であったのだ。だからこそ、現在、居間がもっとも大切という考え方が強く息づいているのであるでは、改めて、居間で行なう団欒とは何カ?と問えば、なかなか答えが返ってこない。団欒は大切と理解していても、具体的な行為を問われれば、さっぱり要領を得なぃのである。それでもいろいろ思いを馳せると、団欒は家族が一緒に居ることへと辿り着く。だが、そう思いながら現実を直視すれば子どもたちは居間よりは自分たちの個室に籠ってしまうし、また、居間の象徴であった母親でさえ、仕事やパートや趣味などのために不在がちになる。ましてや父親は帰りが遅いし、そもそも家で過ごす時間が短く、居間で過ごす時間も当然ながら短い。
たどこも結局のところ、間取りの中でもっとも広く、もっとも住環境的にもよい場所として設けた居間が空き部屋になっているのだ。それは、住まいづくりや間取りづくりの考え方と実際の生活とが大きく乖離していることを示している。そういう意味で、居間本位の間取りは、新鮮味が薄れ、もう一度考え直しが必要な時期に来ているように思える。おそらく、われわれは居間を物理的に確保することに満足してしまい、有効活用して独特の居間文化を創ることができなかった。そのツケが回ってきたように思う。
不動産業者がプロジェクトごとの契約をする

マンションの管理員さんの協力を得て

さて、こうした生活行為の整理の過程で、部屋に関する捉え方も変化することになる。近代以降、部屋は一つの機能に対応すべく、独立した用途の部屋を持つべきと考えられてきたが、狭い面積の中では一つの機能に独立した一つの部屋を用意することは困難で、必然的に一つの部屋を様々な機能の場として兼用することが求められた。
加えて、のである。
実生活に直接かかわりの少ない因習にとらわれた格式や儀礼の部屋は捨てざるを得なかったそうしたなかで、玄関や客間が捨てられることになる。

玄関のない住まいの出現そのため、この時期の小住宅の間取りを見ていると、まさに出入り口としての簡略化された玄関や中には玄関のない住まいまでが出現したのである。たとえば、若き建築家·増沢洵の自邸一九五二年などを見ていると、玄関らしき場所がなく、どこから入ればいいのかわからない図18。訪ねた人はさぞかし困ったのでは、と思う。

戦後にスター建築家としてその名を馳せた清家清も、一九五四昭和二九年に自邸を構えた。清家も自邸の設計に当たって玄関を排除し、さらには、自らの求めた住まい方を実践すべく伝統的な履き替えの住まい方そのものも捨て去った図19。室内の床に鉄平石を敷き、靴のまま出入りする住宅を考えたからである。それは、清家の言葉を借りれば「庭から室内、室内から庭のcirculationで靴をいちいち脱いだり履いたりしていては、庭と室内を一体に運営できない」ためだという。しかし、実際の生活を始めると、室内がよごれ、奥様からクレームが相次ぎ、履き替える場に戻したという。

清家が靴のままの生活を取り入れたのは、ハダシで室内と庭を行き来できることを望んだからであったが、やはり、客に室内と庭を行き来できる生活は理解してもらえなかったようだ。それは、他人が訪れたりすると、出入口としての玄関が必要であったことや、清家が住まいは家族のものだけではなく他人が介在する場でもあることを認識していたからこそ、そうした試みを放棄したことがうかがえる出来事でもある。


一部の金持ちだけが戸建ての家に住む

大手メーカーなら大丈

玄関は気持ちの表現の場だこの清家邸に象徴されるように、靴を脱いで生活するという生活様式は今日においても変わることはない。しかし、この履物の着脱の行為を行なう玄関は、それでも大きく変わり始めたように思う。戦後の住まいづくりでは、住まいから格式性とか身分制といった考え方は急速に消え去ったが、その過程でそれまでの美風といえる迎えようとする謙虚な気持ちまでが捨て去られたように思える。まさに、履物の置き場としての無機的な出入口という玄関が当たり前となり始めたからである。
玄関には送り迎えがよく似合う。儀礼的なものではない、素朴に送りたい.迎えたいという気持ちの表現の場であるのだ。くわえて、履物を脱ぐ行為は、まさしく、外界(社会)の穢れを落として、内(家庭)なる世界に入ることを意味しているように思う。
われわれは無意識で行なう履物の着脱という行為に、精神的な気持ちの切り替えを重ねているといえるのだそういう意味で、玄関こそ、欧米の住まいにはないわが国独自の精神性の存在を示す場であり外から内へ、あるいは内から外へ、という精神の切り替えの場としていまだにその恩恵を受けているように思う。
玄関は、単なる出入り口といった即物的な機能以上の意味合いを持つ場であったのだ。改めてわが国特有の履物の着脱という行為に、家の内外の区別あるいは公私の区別という精神的な意味合いを重ねて見ることは、これからも継承したい特徴である。

誰もいなくなった部屋

家族の生活は二の次間取りを考えたり、あるいは、間取りを眺めたりする場合、誰でもが最初に思うのが、住まいは族のものであり、家族にとって重要なのが家族団欒という行為、したがって、家族団欒の場となる居間リビングルームは一番大切、といった三段論法的思考であり、こうしたイメージが当たり前のように受け取られている。
住宅を研究していた一人

家が一番安全だからそうして


建てられる最大のボリューム

確かに、私も大学の設計時間や計画論の講義で、住まいで一番大事な行為は団欒であり、居間が大切と説く。
こうした当たり前と思われている考え方は、意外かもしれないが、いまだ100年も経っていないきわめて新しいものなのだ。では、それ以前の住まいでは、何が大切と考えられていたのかといえば、それは客間。伝統的な住まいでは、家族の生活の場は二の次で、一番大切な行為は接客であり、それゆえ、接客の場としての応接室や客間(座敷)と称される部屋がもっとも重視され、また、もっとも贅を尽くしてつくられていた。居間本位は客間本位という古い体質を打ち破ってようやく獲得した新しい住まいのあり方であったのだ。だからこそ、現在、居間がもっとも大切という考え方が強く息づいているのであるでは、改めて、居間で行なう団欒とは何カ?と問えば、なかなか答えが返ってこない。団欒は大切と理解していても、具体的な行為を問われれば、さっぱり要領を得なぃのである。それでもいろいろ思いを馳せると、団欒は家族が一緒に居ることへと辿り着く。だが、そう思いながら現実を直視すれば子どもたちは居間よりは自分たちの個室に籠ってしまうし、また、居間の象徴であった母親でさえ、仕事やパートや趣味などのために不在がちになる。ましてや父親は帰りが遅いし、そもそも家で過ごす時間が短く、居間で過ごす時間も当然ながら短い。
たどこも結局のところ、間取りの中でもっとも広く、もっとも住環境的にもよい場所として設けた居間が空き部屋になっているのだ。それは、住まいづくりや間取りづくりの考え方と実際の生活とが大きく乖離していることを示している。そういう意味で、居間本位の間取りは、新鮮味が薄れ、もう一度考え直しが必要な時期に来ているように思える。おそらく、われわれは居間を物理的に確保することに満足してしまい、有効活用して独特の居間文化を創ることができなかった。そのツケが回ってきたように思う。

  • 一部の金持ちだけが戸建ての家に住む
  • 建てられる最大のボリューム
  • マンションの管理員さんの協力を得て