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家をつくれば帯に短

工事を考えるべきだと思い

全体としては水平·垂直の両方向に複雑に展開し、建物が過密した大都市ならではの空間といえよう。古代ローマは、すでに高度に都市化された文明をもっていたのである
サン·ロレンツォ聖堂フィレンツェイタリア筆者は、建築家の磯崎新氏と『磯崎新の建築談義』六耀社という全111巻の西洋建築のシリーズを制作している。磯崎氏が、各時代から111の西洋建築を選び、それについて語るという企画だ。筆者はインタビュアーをつとめている。写真家の篠山紀信氏が各建築を激写したことも同書の特徴である建築の選び方は、いわゆる直球ど真んなかではなく、興味深い変化球なのだが、個人的に最も印象深いのはルネサンスの巻だ。なぜか。フィレンツェのルネサンスの幕開けを告げる有名な花の大聖堂ではなく、サン·ロレンツォ聖堂をとりあげているからだ。そこで真意を確かめるべく、フィレンツェを訪れたとき、数時間かけて、この建築を徹底的に見学したことがある。

がフィレンツェの駅から歩いて数分。サン·ロレンツォ聖堂はごちゃごちゃした市場に囲まれている。
ここでは花の大聖堂のドームの設計者でもあるブルネレスキと、彫刻家として知られるミケランジェロの共演を堪能できる。二人はそれぞれルネサンスの始まりと終わりの時代を生き、同じ古典主義でありながら、対照的なデザインを展開した。聖堂の本体と奥の旧聖具室はブルネレスキ、新聖具室メディチ礼拝堂と付属のラウレンツィアーナ図書館はミケランジェロ手がけている。
ブルネレスキの建築は、整数比によるプロポーションと幾何学的な構成を追求し、透明感にあふれる数学的な空間を生む。ここでいう透明とは、建築の空間が論理的に記述可能であることをさす。例えば、聖堂は1対1の比例のシステムを繰り返し、旧聖具室は立方体に半球のドームをのせながら様々なサイズの円を効果的に使う。中世の大聖堂では人智を超えた圧倒的な迫力によって空間が暴走しているとすれば、ここでは空間を完全に制御しようとする建築家の強い意志が感じられる。同じ街にある彼の他の作品、パッツィ家の礼拝堂ゃサント·スピリト聖堂も、比例と幾何学の美を試みているのでぜひサン·ロレンツォと比較して観察することをお勧めしたい。これは本当に勉強になる一方、ミケランジェロの建築は、すでに確立したルネサンスの規範をいかに崩すかが課題だった。旧聖具室と反対の位置にある新聖具室は、開かない偽の扉や引きのばされた造形など、建築的な遊びを行いつつ、彼の制作した彫刻が巧みに配されている。また図書館は、風変わりなディテールが集積し、異様な緊張感のある空間を実現した。例えば、いったん壁をへこませ、そこにわざわざ対になった柱を埋め込んだり、部屋から流れ出しそうな階段。おそらく、彼は理知的な建築家としてではなく、彫刻家として建築もデザインしたのではないか。
建築会社の設計提案を見たい場合

その結果解り易く数値として出ている


メーカーの施工店

>メーカーの施工店だからこそ、厳格な古典主義のルールを違反することに抵抗はなかった。つまり、サン·ロレンツォ聖堂では、ルネサンス建築の生成と解体を同時に経験できる。
五00年前の作品でありながら、時を超えて、建築家たちの思いがダイレクトに伝わってくる。
レンツェは、現代に通じる建築家の職能を育んだ街なのだ。
フィ
カサ·デル·ファッショ-コモイタリア二0世紀においてヨーロッパは二度の大戦を経験した。
イタリアはムッソリーニの政権が成立し、ファシズムの国家となるのだが、そうした時代の動きに翻弄された数奇な運命の建築家としてジュゼッペ·テラーニが知られている。当時、右傾化したドイツも日本も、無国籍な近代建築を忌避するのだが、イタリアでは逆にすぐれた近代建築を生み出した。スイスとの国境の近くにあるコモには、テラーニの作品が集中している。地味な街だと勝手に想像していたら、そこは湖に面する美しい街だった。建築以外の予備知識を持たないまま出かけたために、恥ずかしながら現地に入り初めて、コモ湖畔の一帯が有名なリゾート地であることを知った。
しかし、テラーニの作品をたどると、明るい風景の中にも戦争の記憶がひそんでいることに気づく。
第一次世界大戦の死者を弔う、左右対称の戦没者慰霊碑(33)は、湖を背にしてひっそりと立つ。これはコモ出身の未来派の建築家アントニオ·サンテリアのドローイングをもとに、テラーニが設計したものである。未来派とは、二0世紀初頭の前衛的な芸術運動である。そして機械を称賛し、テクノロジーを駆使する戦争に新しい美学を発見した。だが、皮肉なことに、サンテリアはその戦争に参加し、若くして命を落としている。もともとダイナミックな電力センターとして彼が構想したスケッチは、テラーニの手が入ることにより、サンテリア自身を含む戦死者を追悼する静謐なモニュメントに変容したのだ。
せいひつ
カサ·デル·ファッショ(36)、すなわちファシストの家は、テラーニの代表作である。彼はファシスト党に入党し、一九三七年にコモを訪れたムッソリーニと一緒に写真に映っている。


工事対象になることが

住まい手と一緒に考えてそれは悩ん

工務店さんファースト…セカンドカサ·デル·ファッショは、縦横のフレームと平たんな面と開口部の組み合わせにより、四面に異なるファサードが展開する。端正な比例によって構成されたデザインは、近代建築でありながら、イタリアの古典主義の伝統を感じさせるだろう。ファシスト党の地方本部とは思えない、抽象的な建築だが、竣工時、白い壁面にムッソリーニの肖像を張りつけた合成写真も作成されている。
コモにおいて、テラーニは洗練された集合住宅や幼稚園も手がけているが、街を歩きながら、設計者不詳の普通の建物も一様にこなれたデザインであることに驚かされた。テラーニの作品だけが突出しているのではなく、基本的に建築の水準が高いのである。これがイタリアの底力だと思った。ところで、実はテラーニも戦争に駆り出されている。そして精神を病んだ挙げ句、自ら命を絶った。楽天的でないとやっていけないため、芸術家のなかで建築家は自殺が少ないといわれるが、珍しいケースである湖近くの公園では、あるユダヤ人の少年の言葉を刻む石碑に出会った。来歴はよくわからないが、ホロコーストの悲劇に関するものだと思われる。その印象的な詩は、日本語を含む複数の言語に訳されていたので、そのまま引用しよう。
たとえ空が紙であり世界中の海がインクだとしてもあなた達に僕の苦しみと僕のまわりで見るもの全てを書き描くことはできないだろう……みんなさようなら。僕は泣いている
ピレッリ·ビルとトーレ·ヴェラスカーミラノイタリアマクドナルドは世界のいたるところに存在するアジア、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本。旅先でマクドナルドを見かけない国はほとんどなかった。もちろん、せっかく外国に行きながら、わざわざファーストフードで食べるのを嫌う人もいる。しかし、筆者はあまり食にこだわらないこともあり、ときどき活用している。便利なのだ。少なくとも日本にいるときと同程度の頻度である。
なまじ似ているだけに、マクドナルドは国別の比較をするのにもよい指標となりうるだろう。地域が異なれば、ファーストフードも完全に同じわけではない。
家が近接する工事の現場代理人

工事対象になることが全体としては水平·垂直の両方向に複雑に展開し、建物が過密した大都市ならではの空間といえよう。古代ローマは、すでに高度に都市化された文明をもっていたのである
サン·ロレンツォ聖堂フィレンツェイタリア筆者は、建築家の磯崎新氏と『磯崎新の建築談義』六耀社という全111巻の西洋建築のシリーズを制作している。磯崎氏が、各時代から111の西洋建築を選び、それについて語るという企画だ。筆者はインタビュアーをつとめている。写真家の篠山紀信氏が各建築を激写したことも同書の特徴である建築の選び方は、いわゆる直球ど真んなかではなく、興味深い変化球なのだが、個人的に最も印象深いのはルネサンスの巻だ。なぜか。フィレンツェのルネサンスの幕開けを告げる有名な花の大聖堂ではなく、サン·ロレンツォ聖堂をとりあげているからだ。そこで真意を確かめるべく、フィレンツェを訪れたとき、数時間かけて、この建築を徹底的に見学したことがある。

がフィレンツェの駅から歩いて数分。サン·ロレンツォ聖堂はごちゃごちゃした市場に囲まれている。
ここでは花の大聖堂のドームの設計者でもあるブルネレスキと、彫刻家として知られるミケランジェロの共演を堪能できる。二人はそれぞれルネサンスの始まりと終わりの時代を生き、同じ古典主義でありながら、対照的なデザインを展開した。聖堂の本体と奥の旧聖具室はブルネレスキ、新聖具室メディチ礼拝堂と付属のラウレンツィアーナ図書館はミケランジェロ手がけている。
ブルネレスキの建築は、整数比によるプロポーションと幾何学的な構成を追求し、透明感にあふれる数学的な空間を生む。ここでいう透明とは、建築の空間が論理的に記述可能であることをさす。例えば、聖堂は1対1の比例のシステムを繰り返し、旧聖具室は立方体に半球のドームをのせながら様々なサイズの円を効果的に使う。中世の大聖堂では人智を超えた圧倒的な迫力によって空間が暴走しているとすれば、ここでは空間を完全に制御しようとする建築家の強い意志が感じられる。同じ街にある彼の他の作品、パッツィ家の礼拝堂ゃサント·スピリト聖堂も、比例と幾何学の美を試みているのでぜひサン·ロレンツォと比較して観察することをお勧めしたい。これは本当に勉強になる一方、ミケランジェロの建築は、すでに確立したルネサンスの規範をいかに崩すかが課題だった。旧聖具室と反対の位置にある新聖具室は、開かない偽の扉や引きのばされた造形など、建築的な遊びを行いつつ、彼の制作した彫刻が巧みに配されている。また図書館は、風変わりなディテールが集積し、異様な緊張感のある空間を実現した。例えば、いったん壁をへこませ、そこにわざわざ対になった柱を埋め込んだり、部屋から流れ出しそうな階段。おそらく、彼は理知的な建築家としてではなく、彫刻家として建築もデザインしたのではないか。


工事を考えるべきだと思い

だからこそ、厳格な古典主義のルールを違反することに抵抗はなかった。つまり、サン·ロレンツォ聖堂では、ルネサンス建築の生成と解体を同時に経験できる。
五00年前の作品でありながら、時を超えて、建築家たちの思いがダイレクトに伝わってくる。
レンツェは、現代に通じる建築家の職能を育んだ街なのだ。
フィ
カサ·デル·ファッショ-コモイタリア二0世紀においてヨーロッパは二度の大戦を経験した。
イタリアはムッソリーニの政権が成立し、ファシズムの国家となるのだが、そうした時代の動きに翻弄された数奇な運命の建築家としてジュゼッペ·テラーニが知られている。当時、右傾化したドイツも日本も、無国籍な近代建築を忌避するのだが、イタリアでは逆にすぐれた近代建築を生み出した。スイスとの国境の近くにあるコモには、テラーニの作品が集中している。地味な街だと勝手に想像していたら、そこは湖に面する美しい街だった。建築以外の予備知識を持たないまま出かけたために、恥ずかしながら現地に入り初めて、コモ湖畔の一帯が有名なリゾート地であることを知った。
しかし、テラーニの作品をたどると、明るい風景の中にも戦争の記憶がひそんでいることに気づく。
第一次世界大戦の死者を弔う、左右対称の戦没者慰霊碑(33)は、湖を背にしてひっそりと立つ。これはコモ出身の未来派の建築家アントニオ·サンテリアのドローイングをもとに、テラーニが設計したものである。未来派とは、二0世紀初頭の前衛的な芸術運動である。そして機械を称賛し、テクノロジーを駆使する戦争に新しい美学を発見した。だが、皮肉なことに、サンテリアはその戦争に参加し、若くして命を落としている。もともとダイナミックな電力センターとして彼が構想したスケッチは、テラーニの手が入ることにより、サンテリア自身を含む戦死者を追悼する静謐なモニュメントに変容したのだ。
せいひつ
カサ·デル·ファッショ(36)、すなわちファシストの家は、テラーニの代表作である。彼はファシスト党に入党し、一九三七年にコモを訪れたムッソリーニと一緒に写真に映っている。
千葉市役所

工務店さんファースト…セカンド

工事を考えるべきだと思いカサ·デル·ファッショは、縦横のフレームと平たんな面と開口部の組み合わせにより、四面に異なるファサードが展開する。端正な比例によって構成されたデザインは、近代建築でありながら、イタリアの古典主義の伝統を感じさせるだろう。ファシスト党の地方本部とは思えない、抽象的な建築だが、竣工時、白い壁面にムッソリーニの肖像を張りつけた合成写真も作成されている。
コモにおいて、テラーニは洗練された集合住宅や幼稚園も手がけているが、街を歩きながら、設計者不詳の普通の建物も一様にこなれたデザインであることに驚かされた。テラーニの作品だけが突出しているのではなく、基本的に建築の水準が高いのである。これがイタリアの底力だと思った。ところで、実はテラーニも戦争に駆り出されている。そして精神を病んだ挙げ句、自ら命を絶った。楽天的でないとやっていけないため、芸術家のなかで建築家は自殺が少ないといわれるが、珍しいケースである湖近くの公園では、あるユダヤ人の少年の言葉を刻む石碑に出会った。来歴はよくわからないが、ホロコーストの悲劇に関するものだと思われる。その印象的な詩は、日本語を含む複数の言語に訳されていたので、そのまま引用しよう。
たとえ空が紙であり世界中の海がインクだとしてもあなた達に僕の苦しみと僕のまわりで見るもの全てを書き描くことはできないだろう……みんなさようなら。僕は泣いている
ピレッリ·ビルとトーレ·ヴェラスカーミラノイタリアマクドナルドは世界のいたるところに存在するアジア、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本。旅先でマクドナルドを見かけない国はほとんどなかった。もちろん、せっかく外国に行きながら、わざわざファーストフードで食べるのを嫌う人もいる。しかし、筆者はあまり食にこだわらないこともあり、ときどき活用している。便利なのだ。少なくとも日本にいるときと同程度の頻度である。
なまじ似ているだけに、マクドナルドは国別の比較をするのにもよい指標となりうるだろう。地域が異なれば、ファーストフードも完全に同じわけではない。